身体障害者になって の続き。
---国立リハビリセンター病院にての続き---
病院入院中にテレカと百円硬貨が必需品。
携帯電話は禁止されているので、院内のグレー電話にテレカ。
百円硬貨は洗濯機・乾燥機を動かすのにいるんです。
五月二日の退院が決まる。
主治医から『一ヶ月は自宅療養するように』と言われ、診断書を職場に提出。
私が入院中に退職者と休職者がでたそうな。
上司から復職の返事はまだない。職場に席があるかどうか不安になる。
国立リハビリセンターのある埼玉所沢までは通院が難しい為、
都内に通院治療するように勧められる。
武蔵境にある武蔵野赤十字病院の神経内科に決定し、紹介状を書いてくれた。
三か月近く病院にいると離れがたくなる。
退院の日、同室のメンバーに挨拶をして、病院を後にする。
とりあえず格好悪くても自分の足で歩いて退院、嬉しくもあり、寂しさも少しあった。
---退院してから復職するまで---
猫は私の顔を忘れていて、慣れるまで時間がかかった。私の顔を見るたびに、逃げ回ってばかり。
家に戻っても生活パターンは病院と同じ。
夜九時になると床に入る生活、テレビも見れないと妻が嘆く。
5月中は家で社会復帰に向けて毎日、妻と散歩。アルコールも少し呑みはじめた。
市役所の障害福祉課より身体障害者手帳交付される。これで一人前の身体障害者。
身体障害者手帳の制度は「自立への可能性」を拡げるために用意されたパスポート。
でも、寂しいもんがあります。無くなったものを嘆いても問題は解決しないが、、、、、
6月に入り、社長と面接。9月に復職が決定した。
今、どうにか生きていけるのも、社長のおかげです。 (・_・)(._.)
---身体障害者手帳取得のメリット---
デメリットはたくさんありすぎて。。。 書ききれません。
※生活の足となる自動車関係
@駐車禁止区域の駐車許可証の交付。
A有料道路の通行料金が半額になる割引。
B自動車税・軽自動車税の減免。税金払わなくてよい。
《障害者手帳には3種類ある》
身体障害者、知的障害者、精神障害者に対して発行される。
《私の障害者手帳》
私は肢体不自由。
身体障害者障害程度等級表によれば
左上肢は2級:一上肢の機能を全廃したもの
左下肢は4級:一下肢の機能の著しい障害
左の写真は身体障害者手帳の外側。
右の写真は内側。顔写真、等級、氏名、住所の記載がある。
---障害者が車に乗る理由---
健常者でも仕事が無い。勿論まして障害者なんか仕事もろくにない御時世。
私は元の職場に戻れて運が良かった。
死ねば楽だよ。私は中途障害、何度も死のうと思った。
しかし中途半端に生かされてる意味があるんだよ。
死んだら自分を否定することになる。悲しむ家族や友人がいる以上、死ねない。
決して今でも障害者になって良かったとは思えない。でも、生きねばならない。
一人で自立した生活をするうえで、車は必要。
病院へ通うときどうする?這って行けるかい? 根性は有っても現状不可能。
飯喰うにも材料調達どうする?
一人になったら、自分で買いに行くんだよ。
けれどね、サボったら生きて行けない。
何故なら、健常者と同じ事をする為には倍以上の労力と時間を費やす。
生きねばならぬ。
---障害者のoyamaに辛いもんは?---
私は中途障害者。過去に健常者だったと言う記憶がある。
今の生活行動の足枷と健常者だった頃の記憶の比較が容易に行える。
それ故、過去の栄光と現在のギャップにもの凄く悲観するんだよね。被害妄想的だけど。
生活するのに苦労します。。。
具体的に言えば、
階段・スロープ・・・手すりが無ければ駄目。介助者がいてもコワイ時があり。
雨・風・・・滑りコケル危険性有り。
バス・電車等の公共の乗物・・・ラッシュになんか行けない。
お風呂・・・裸でコケタラ、もう大変。『酒』飲んだら入らない。
---今、思うこと---
身体障害者になって多くの能力を失ってきた。
嘆いても失ったものは元には戻らない。
残っている能力をフルに活用して失った能力を補完して、
どんなもんだと笑いたい。
---おまけ---
初回の脳梗塞後の生存率は1年で約65%、5年で約50%、10年で約25%。