身体障害者になって。
---始まり---
平成10年12月26日日曜日の夜中、突然左の手と足が重く感じ何事かと思った。
そのころは毎日、五合〜六合の『酒』と60本の煙草。
いつも酔っぱらって寝ているので二日酔いと思っていた。だが今回は全然直らない。
動く右足で床を叩いたようで、妻が何事かと思って様子を見に来てくれた。
看護婦の職業柄、すぐ脳卒中とわかったようだ。
枕元にあったタバコを吸ってたら妻に怒鳴られ、消す。これが最後の一服。
その頃の体重は90キロ近くあり救急隊3人でも大変な思いをして家から救急車に運んだようだ。
年末で杏林大学病院、武蔵野日赤は満床、入院は無理だった。野村病院に搬送された。
救急車の中から見慣れた看板が見えた。ドキホーテの看板も見えた。。。見納めかとも思った。
---野村病院にて---
すぐにCTが撮られ病名が確定され即刻入院となる。
『脳梗塞』
モニターが付けられ尿道にバルーンが入れられ持続点滴が始まる。
左半身だけがしびれ、唇の片方の端からよだれをこぼす。
左手左足は全く動かず、意識だけがクリアでこれから先どうなるか途方にくれる。
絶食のほかに水分が制限され苦しい状態が3日間続き、年末の30日ぐらいからお粥が開始となる。
1週間も大便が出ないため、浣腸されておむつの中に大便を出すという屈辱的なこともありましたな。
あの臭いと生温かい感触は忘れられません。赤ちゃん同然。辛いのは水分制限だった。
正月三が日が過ぎるとおしっこを出す訓練始まる。
自力で寝た状態のまま尿瓶の中に出すというもの。
たまに外すと洪水状態となる。2週間でバルーンと点滴が取れた。
また、感情失禁があり、涙もろくなり、親兄弟が見舞いに来るだけで涙が止まらなくなる。
1日中ベッドの上で寝ているので精神状態が鬱になる。入院時の中性脂肪は1000近くあったそうな。
年明けから左上下肢麻痺に対するリハビリがベットの上で行なわれる。
1日1回リハビリの部屋に連れて行かれました。ベットから車椅子に移るのが大変でしたヨ。
ベッドから床に2回落ちました。亀さん状態ですので看護婦さん一人では到底無理。迷惑かけました。
今までは便座に腰をおろせばはすぐに大便が出たのに下剤を飲んでも出ない。
浣腸を2回された。浣腸は冷たい。
仕事のことが脳裏を過ぎるがどうしようもない。動かない左足と左手はオマケみたいなものであった。
野村病院入院中は歩けるか左手が動くかどうかそれだけを考えていた。
1月上旬に担当医師より、リハビリ専門病院への転院を勧められる。
妻が勤務先の上司の紹介で、埼玉所沢にある国立リハビリセンター病院を見つけてきてくれた。
1月の末、姉の運転で国立リハビリセンター病院に転院。
『脳梗塞とは』
脳血栓と脳塞栓の総称。脳の血管がつまり、その先に血液が流れなくなる疾患。
卒中発作と運動麻痺
(まひ)・知覚麻痺・失語症などを呈する。
血流の途絶えた部分の脳組織が壊死
(えし)し軟化するので、脳軟化症ともいう。
脳卒中に関してはこのサイトを参考に。
脳卒中の治療最前線
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【脳梗塞の再発】
病型別にわけて厳密に検討したものは少ない。欧米では、心原性脳塞栓以外のischemic stroke は
アテローム血栓性脳梗塞が多く,逆に日本ではラクナ梗塞が多い。
抗血小板剤のRCTのデータが欧米のものが殆どで、
そのRCTのstroke の大部分はアテローム血栓性脳梗塞である。
現在までのプラセボを対照とした欧米RCTのデータ(資料3)からは再発率は数%/年ぐらいである。
ラクナ梗塞についてのデータは少なく、再発率は2.9%/年(Yamaguchi 1994),本邦CSPS研究(2000)では5.25%/年など。
心原性脳塞栓の再発率はEAFT study(1993)で12%/年と報告されており、
他の病型の脳梗塞の再発率よりも高い。
脳梗塞の再発(2次)予防(secondary prevention of ischemic stroke)
国立大阪病院 総合内科 恵谷 秀紀 より引用。
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