私の生業である「薬学・薬剤師」について書いてみる。あくまでも私の個人的なことヨ。
自分の履歴書みたいなもんね。
☆何で薬学にしたのか?
文学部志望であったが、親兄弟の猛反対で薬学に。文学部に行ったら学費は出さぬと。
「文学では飯が喰えぬ」、然り。「男は手に職をつけろ」ト。
義兄が製薬会社に勤めてることもあって、薬学に決定。薬剤師免許取得が目的。
☆デ、どこの薬学に入学した?
どうにかこうにかN大の薬学に現役で入学。その当時は理工学部の中に薬学科があった。
入試に数三、微分積分があり、穴場狙い。他の薬学部は数二まで。
数三のせいで薬学では珍しく、男女比率が半々。
一年生は千葉北習志野まで通学、。二年生から神田御茶の水。
☆学生時代は・・・?
大学へは毎日通学してたけれど、雀荘に直行。出席するのは実習だけ。
薬学は範囲の広い勉強をすると思った。
雑学だね。記憶力が勝負だった。高校の化学の延長だよね。
ギリギリで卒業予定が3単位の不足で留年。これが人生失敗の始まり。
四年間勉強した記憶が余り無い。真面目に勉強したのは五年目。
☆卒業に向けて・・・
五年目は死に物狂いで勉強、卒業試験の成績はベスト4。
「留年したから大学院の進学は無理、諦めろ!」と担当教授から言われた。
就職が問題となる。性格上、人に頭を下げる営業は向いていない。もう少しモラトリアムでいたいし。
デ、大学病院の研修生になろうかと考えた。
何故なら、一年間無給で薬剤部に在籍し研修生を終了すれば
大学の関連病院に就職できるという甘い考え。
K大病院かT大病院の選択、何故かT大病院の本院ではなく分院に決まる。
これがまた、私の人生の分かれ道になるとは…
病院の研修生は各大学から二、三名しか取らないと。薬剤部の入部試験にヨク通ったもんだ。
デ、皆さん優秀というかお悧巧さん。そんで女性ばかり。
薬学を卒業して、薬剤師の国家試験合格しても直ぐには使えない。処方箋を読めない。
薬学教育は看護婦みたいな実践的な教育じゃないんだよ。
☆T大病院分院薬剤部の研修生・・・
薬剤部は調剤室、製剤室、注射室、薬務室、試験研究室、薬品情報室(DI室)の構成。
研修生は各部署を一か月毎に回る。見るもの触れるもの、やる事全てが初めての世界。
*調剤室・・・処方箋に基づいて、外来各科の調剤と病棟入院の調剤。薬剤部の顔みたいなもん。
今のコンピュータ打ち出しの処方箋と違って手書き。まず処方箋が読めない、謎々を解くようなもん。
薬の種類が千種類以上もあって場所を捜すのが大変。
まずは処方箋の解読と間違い無く調剤することを徹底的に教えられる。
厳しい教育で泣いている女の子もいた。愛のムチです。
*製剤室・・・院内、調剤室で使われる薬を纏めて作る所と思って下さいナ。
粉薬、軟膏、消毒薬をキロ単位、点眼薬は百本単位で作ります。
あとは特殊製剤の作成。調剤指針注解の世界です。
濃度換算がわからない、できないと駄目ネ。馬鹿にされた上に阿呆の烙印がぁ〜?!
*注射室・・・無菌的な製剤を作る所。注射の他に点眼薬も。瓶洗いから始まり、
無菌的状況下で注射薬の調剤をし、最後に滅菌。
一日中、水を使うので三日間で手の皮が剥けました。(´・д・`) ヤダ 嫌いな部署でした。
*薬務室・・・院内で採用、使用されている医薬品の購入と供給管理の仕事。
コンピュ−タが無い時代で、手書きでやってました。伝票が飛んでいる夢を見た。ギャハハハ(≧▽≦)
*試験研究室・・・大学の実験室と同じネ。医薬品の含量均一性試験や温度、湿度、光などによる
経時的安定性の試験等を行うのが仕事。ガスクロ、液クロを使用した分析業務をやった。
*薬品情報室・・・医師・歯科医師・薬剤師・看護婦その他の医療従事者への薬品情報の提供を通じて、
医療の向上と効率化に寄与することを目的とした部署なのです。仕事は医薬品に関する情報を集積し、
整理し、提供すること。
一日中、文献と睨めっこ。英語力は必須。調剤嫌いの私が一番好きな部署。
前半の半年で各部署の研修が終了。後半の半年は自分の好きな部署で研修。
研修生の多くは調剤室での研修。私は薬品情報室での研修に決めた。
臨床薬学を担当教官よりマンツーマンで教育される。この時の研修が今の飯の種となってる。
医学英語、薬理学、生理学、線形代数、推計学は就職してからも必要であり、
これからの医療の現場では英語と数学が共通の言語となると教えられる。
一年の研修期間が終わるころN健康保険組合東京病院を紹介される。
薬剤部長の命令は拒否できず就職。残って文部技官になる研修生もいた。
☆N健康保険組合東京病院・・・
業務はスンナリと入れた。病院も即戦力を期待し、研修生を採用するのだからして。
既に研修生の先輩がいたのは精神的に楽だった。恐怖のお局様はおらず、まずは一安心。
N病院には労働組合があり、三十歳以下の男子は強制的に青年部に入れられる。
世間で言うユニオンショップね。ウンデ、入社一年後に私が労組の青年部長を引き受けるはめに。
これが人生の転機に。
青年部と婦人部は青婦部の名のもと、一緒に行動。春闘、メーデー、賃上げ、待遇改善等の組合活動。
婦人部は看護婦が大半。デ、今の妻が婦人部の副部長ヨ。(^_^)v
毎日毎日同じ調剤製剤業務。段々、仕事に嫌気がさし転職を考えるようになる。
これが転職人生の始まり。日赤血液センター
→公立病院
→調剤薬局の経過を辿る。
☆血液センター・・・
献血した血液を赤血球、血小板、血漿に分離する業務。HLAの検査仕事もした。
HLAはHuman Leukocyte Antigen(ヒト白血球型)の略で、臓器移植での適合性判定には必須。
朝から晩まで血液を扱っているのでB型肝炎にも感染した。
検査技師みたいな仕事なので二年で辞めました。
☆某公立病院・・・
某県の僻地にある某病院に八年近く在籍。田舎の病院だから事務当直、救急車の運転もさせられた。
記憶に残っているのは当直中に農薬服薬自殺しようとした夫婦が担ぎ込まれたこと。
ダブルですから大変。医師、看護婦の人員も少ない。救急のお手伝いをしましたよ。
胃洗浄、パム、薬用炭。一睡もできず次の日もフルタイムでお仕事。若いから出来た仕事。
でもね、管理職三日やったらやめられない?!?!?!
子供の教育を考えて東京に戻ることに。
東京に戻り半年間はプー太郎。伯父の事務所で経理の仕事。
ある日曜日、息子と一緒に散歩してたら家の近所の薬局で薬剤師の求人の張り紙がぁ〜。
ウンデ軽い気持ちで応募したら無事採用される。これがまた人生の転機に。
☆調剤薬局・・・
初めての調剤薬局勤務、病院勤務してたから問題無し。ただ、レジ打ちがねぇ…口悪いけれど商人。
調剤薬局に学術を求めるのは無理、無理。ここの開設者である社長は東大卒。
私の研修生時代の教官、技官のことを知っていた。
処方箋発行元が在宅医療に熱心。薬局も医療チームに加わり訪問薬剤管理指導を開始。
経理、レセプト、給料計算、私一人でやってました。だが、部下の下剋上により退職させられる。
それから調剤薬局を転々とする。殺人事件のあった三鷹の薬局にも二か月いました。
デ、パートで勤めていた「S薬局」で正社員となり、現在に至ります。ハイ。
なんで病院薬剤師出身ってあんなに妙にプライド高い人が多いんだろう … 同じ袋詰めなのに。
学術的な事を訊くとすぐに化けの皮剥がれる。
調剤薬局の宿命なんだけど、患者様の病名や病態は、「推定」の域から出ない。
病院内で、カルテを読めれば、カルテで病名・症状・検査値が確認できるのとは、 天と地の差。
両方、経験したものとしての感想。
カルテを読むのに医学英語、ある程度は必要ね。調剤薬局でも役立つよ。
☆社会に出て四半世紀・・・
男のほうが「女の腐ったような奴」が多いかもね?
意外と男でも群れるのが好きで、集団から逸脱することを嫌う。
意見をはっきりいうことをよしとせず、二枚舌をつかったり、風見鶏的にふるまうことが多い。
特に権威に弱く、上層部に対して、ゴマをすったり、一生懸命とりつくろう。
馬鹿馬鹿しい。魂胆みえみえなのに。でもそれが、効を奏するんだな。
トップの人間たちもゴマすられるのが好きだから。
また失敗を潔く認めることをせず、なんだかんだ言い訳をだらだら言い続ける者も多い。
何か問題が起きたとき、それを嫌がって逃げ回って奴もいる。
私は群れるの嫌いだし、ゴマをするのって大っ嫌い。
言い訳をぐっと我慢して潔く謝り、補足することがあれば、機会を見計らってすることにしてる。
私みたいなタイプは
「悪口、策略、陰謀、ゴマすり上位のこの女々しい男の世界」
ではメインストリームにはなりえないですな。